砂のお城

生きるか死ぬかみたいな毎日

「 人の言うことを気にしない

  抜け駆けをする

  ラッキーな自分を演出する

  人知れず努力する     」

 

 

昨日ネットで見つけた言葉を何回も唱えた。

どんなに悲しくなっても堂々としていようと決めて過ごした。

正直悔しかった。でも最後まで背筋を伸ばして戦い抜いた。

直接的に結果に関係したわけではないけれど、今日のわたしは頑張った。

 

知らない人にたくさん声をかけてもらった。

 

「サイコーのキャプテンだ!」

「今日はあなたを楽しみにしてきたのに見れなくて残念。

 次はあなたをみせてね。」

 

上手く話せなかったけど、最後まで伝えることは諦めなかった。

 

 

もうへそ曲げるのやめる。しっかりしなきゃ。

次は自分の力で掴む絶対に。今を大切にする。

すごく遠回りしたけれど、絶対無駄じゃなかったってか無駄にしない絶対に。

今朝起きて外に出たら、金木犀の香りがした。気づいたら夏がいなくなってた。季節が秋になっていた。

 

昨日は口が悪すぎた。反省した。

今日で2017年が終わるまでぴったり100日だったらしい。わたしは今年6キロ太った。年内に戻したい。いや、戻してやる。

 

ちゃんと生きよう、小さな一歩も大切にしよう。とりあえずもうコンビニへは行かないことにする。

昨日、寮に戻ると珍しく私宛に手紙が届いていた。親友からだった。やっと調子が戻ってきたから連絡してみた。手紙には親友の近況とずっと連絡できずにいたことを詫びる内容だった。手紙の文面から彼女の生活がとても充実していることが伺えた。でも、どうして彼女が連絡をしなかったことをに対して謝罪の言葉を持っているのかだった。最後に連絡を取ったのは確か1月だった気がする。その時も私からlineのやり取りを終わらせていた。彼女の今と私の今の生活レベルがかけ離れすぎていて惨めで、そこで私からlineの交換を終わらせたのになぜ。まぁでもこうやって手紙を送ろうという前向き気な気持ちになるぐらい彼女は今元気にやっているということだ。よかったよかった。少し前なら悔しい気持ちでたくさんになっていただろうに、昨日のわたしはとても冷静だったと思う。同じ仕事をしているものとしての目線ではなく、仕事を外側から見ている立場で手紙を読んでいた。これはいいことなのか、悪いことなのか。でももう本当に自分の気持ちが冷めきっていることは隠そうにも隠せなくなってしまったなと思った。

彼女は本当にいい子だ。でも私の中の黒い部分が「彼女の連絡をしなかったことをに対して謝罪」にとても反応してしまう。何に対しての責任感?調子が良くなってきたから、私に対してちょっと良い態度したくなったの?なんていう最悪な感情がぐるぐるぐるぐる、渦を巻いている。ひとって本当に余裕があるかないかでこんなにも人に対する態度が変わるのかと思った。今ここに偉そうなことを書いた私は全く余裕がないから、こんな最低なことを考えてしまっていることも分かっている。とにもかくにも、彼女

が元気そうでなによりだ。調子がいいにこしたことはない。

 

母が仕事で鬱になりかけている。辞表等提出したが受理してもらえないらしい。可愛そうだがなんていうか、辞められるなら早く辞めればいいのになと思ってしまう。わたしは嫌でもあと3か月は続けなければいけない。今の私は本当に最低最悪人間。自分がいちばんかわいそうっていうアタマになっている。なんかもうどんどん嫌いな自分になっていく。良い人でいるためには余裕・ゆとりが本当に大切だなって最近思う。

 

今日も過食した。お金がどんどん消えていく。寮に居たくなくて、自分の居場所をとるために食べる。外にいても食べていればそこにいる理由がある人になれる。だからわたしは食べるのだと思う。全然おいしくない。苦しい。ドーナツ2こ、たいやき、白パン、チーズベーグル、担担麺、チャーハン、からあげ、ちょこ、アイス2こ、スティックパン1袋、ゼリー3カップ、ヨーグルト2つ、タピオカミルクティー2こ。吐けないからどんどん肥える。豚。汚い。お腹が痛い。苦しい。本当はこんなことしたくない。

途中からチューイングしたくなった。病院行きたい。ひとりで隠し通すのがつらくなってきた。自分の食事について誰かに聞いてほしい。辛い。苦しい。普通に食事したい。大袈裟って思う?こんなに4年間で食べることに振り回されて悩んでるのに?ただの食べ過ぎだとおもう?まあたしかにそうかもね、吐いてないし。動けなくなるまで食べて泣いててもただの食べ過ぎなのかな。

 

寮に帰ろうとすると、全身の血の気が引いていく。脈が速くなる。誰にも会いたくない。ずっと、自分は価値のない人間だなって、デブで見苦しい、汚いなって、寮で食事してると周りにすごい見られてる気がする。わたしの食べてる量を見て「太ってんのにそんなに食べるんだー・・・」って絶対思われてると思うってか、デブなんだから他の人と同じ量の食事食べちゃダメだと思う。でも残せなくて、結局食べて後悔して泣く。自分がどれぐらい食べていいのかわからないし、何を食べていいのかわからない。いつか胃が壊れそう。でも壊れたほうがいいのかな、痩せれる。痩せたい。せめて人並みになりたい。胃の中全部吐き出したい。

 

 

学校に行った。友達に会ってちょっと元気になった。でも学校にいて私服を着ている私でも部活の話をしてくる人がたくさんいて嫌になった。そういうとき、改めて私には部活しか他人の興味を引くものがないんだなって思って死にたくなる。自分の人格を全て否定されている気持ちになる。笑ってながす、流せるときはいいけど、時々泣きそうになって声が震えてしまうときがあるから自分のことだけど、めんどくさいやつだなって思う。苦しいなって思う。部活でもつかえない人間で、デブってもう人としての価値ないじゃんね、わたし。

 

 

ちゃんとわたしをみてほしい。部活とかそういうの除いてみてほしい。でも部活で言い記録を残せていないと、その先のわたしさえ見てもらえない。どんどんじぶんが死んでいくような気がする。毎日毎日、自分は価値がない人間だって言葉が、朝目が覚めた瞬間から眠りに落ちるまでずっとわたしを縛り付けている。本当に無能。生ごみ。ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。

過食に変わる自分を慰める方法を手に入れたい。

 

自分のことを自分で評価できる軸が欲しい。

 

 

今の自分にはそれがなくて本当に苦しい。わたしは本当にひとりなんだなって実感するし、今死んでも別に何にもならないだろうし、まあ死んだとしたって人はいつか忘れるし、覚えてて欲しいなんて、ましてやわたし程度の人間で思ってもいないけれど、人生で1回くらいは大切にされたかったなって思うし、本当にわたしなんか生まれてきてしまったこと自体が事故だったと思うし、本当にいろんな人に誤ってまわりたい生きてて本当にごめんなさい。汚い。はやく終わりたい全部。

降りたい

 

 

昨日の夜は過食した。

野菜とか豆とかとにかく硬いものが食べたくて、久しぶりにお腹いっぱいで苦しくて動けなくなった。

 

そして今日は本当に1日中寝てた。寝てないとまた過食しそうでこわかったからずっと寝てた。夕方過食対策にとガムを買いに行こうとしたら、ガムを買い忘れて過食の材料買ってた。帰ってきて食べた。全然美味しくなかったし、すごく後悔した。本当は全然食べたくなかったのに、食べることしかできなかった。本当にバカだなと思った。

 

毎回毎回できない練習をして、できる兆しも見えなくて苦しい。何も生み出せてない。出来ないことが増えていく。みんな頑張っているのにわたしは全然頑張れてない。ってか頑張るって何?どこまでいったら頑張ってるになる?今日も全然ひとと喋んなかった。もっと上手く生きたいのに頑張りたいのに出来ない。本当にごめんなさい。わたしなんか寮にいてごめんなさい。邪魔だよね本当にごめんなさい。苦しい消えたい全部やめたい。

吸って吐き出した。

 朝井リョウの「何者」を今更ながら読み終えた。

 朝井リョウのデビュー作「桐嶋、部活やめるってよ」を初めて読んだのは確か高校2年生の頃だった気がする。最初の5ページぐらいでなんか読むのが嫌になっちゃってそれきりだった。数年後、Tumblrで朝井リョウさんの小説の一節を何度か目にするようになり、気になるようになり、読み始めたらハマってしまった。確か、朝井リョウさんの本で初めてちゃんと読んだ本は「もういちど生まれる」だった。破りたかったもののすべてが当時の自分にすごく重なって苦しくて切なくなった記憶がある。

 

 今日読み終えた「何者」はまた違った感じで、現代の若者や就活生がリアル描かれていて面白かった。そして思ったことは、就活が終わってからこの本を読んでいてよかったなあと。きっと就活の最中に読んでいたら、わたしは疑心暗鬼で死んでいたかもしれない(笑)わたしがなりたいのは拓人だけど、絶対なれない。感想とかあんまり書くのが昔から得意じゃない。でも、なにか自分の中に響いたものがあったとき、誰かに話したくなる。瑞月が隆良に放った言葉と理香が最後に拓人に吐いた毒がすごい響いた。特に理香の言葉は、理香のプライドの高さとか悔しい気持ちとかがすごく込められて板と思う。不器用な子だなと思った。ちょっと自分に似ている気がして、生きにくそうな子という印象を受けた。酔った光太郎の話の内容で「就活が終わりじゃなくてそこからどうなりたいかとか考えてないと何者にもなれない」って話が今の自分の課題となって残った。4月に内定もらって、それから内定社会には何回か参加して同期とかとあっていろいろ話して、ただいっしょにがんばろうね~なんていうゆるい考えだけで働いていたらなんにもならないんだなって。大きなことじゃなくていいから、自分の人生における目標を達成するために、その会社に属しながら何が出来るかを考えていくことが大切なんだなって思った。

 本当に朝井リョウさんの言葉ってリアルで、ふとしたときにスって、カッターで切られるみたいな鋭さがある気がする。日常に潜む毒に気づいてはっとするような感じ。小説の帯に書いてあった「ラスト30ページ、物語が襲いかかる!」って言葉、まさにその通りだった。本当に襲いかかってきた。

 

 わたしが今まで他人から評価を得ていた軸は、競技成績や部活のポジションだった。でも来年から、その軸がなくなる。そしたら一体わたしはどうやって自分を他人に評価してもらったらいいんだろう。ちょっと考えた。わたしは、競技がない自分でも昔の部活の仲間に会っても胸を張って頑張っていると言えるものが欲しい。さあこれをどうやって仕事から得よう。これから考えることだとおもう。

 

話が変わるのだけれど、来年から住む家をネットで探したりしてて、ふとその時思ったことが、わたし、ずっと一人で過ごす未来の自分しかイメージしてないなってことだった。今まで、部活で友達と旅行に行ったりとか遊んだりとか全くしてなくて、そんな人間でも、大人になっても、遊ぶ友達とかできるのかなって思った。1人で過ごすの、別に嫌いじゃないし好きだけれど、ずっとそんな休日が続くことはやっぱり苦しくて寂しいと思う。いろんなことがしたいし、それを誰かと共有したい。やりたいことや行きたいところがいっぱいあるし、恋人も欲しいし、家族にだって作りたい。コミュニティーの幅を広げたい。願望はたくさんある。でも、こんなわたしでもできるかな?ずっと1人だったらどうしよう!ちょっとそこがこわい。

 

 

本を読む意味ってなんだろうって考えた。

自分が経験してないことを誰かの言葉や話から経験して、自分の生活に生かすこと菜のかもしれないなと思った。当事者じゃないぶん状況を冷静に見る練習にもなるような気がする。わたしは常に主語がIの人間だから、わたしがにとっての本を読む意味は後者の意味合いが強いような気がする。

 

 

少し前にもう何もかも嫌になって発狂したときに気づいたことがあった。

いろいろ気にかけてくれる年上の人がいて、なにかと行き詰ったときに話を聞いてもらったり、相談にのってもらったりしていたのだけれど、その人と話した後っていつもなんでか苦しくて、逃げ場のない四隅にじりじりと追い詰められた感じがあって、なんでだろうななんでだろうなってずっと考えてた。考えて少し思ったことは、いくら話しても相手の状況を完全に理解することはできなくて、たとえアドバイスとかをしたりもらったりしても、自分の情が入り込んでいるから苦しくなるんだなって思った。上手く言えないけれど、これは自分が誰かに対してもしてしまっていることかもしれないから気を付けたいとおもった。「あなたのためを思って」という言葉に「あなたのため」になることは少ないって言葉をたまに聞くけれど、まさにその通りだと思った。でも難しいよね、自分としては相手のことを思ってやった行動や発言が、全然相手のためにならなくて、逆に相手を苦しめてるってなんだか切ない。

 

 

前に後輩に「先輩の言葉は正論過ぎて刺さるんですよ~」って笑いながら言われた言葉が未だに自分の中で成仏しきれなくて、時々その後輩を見ると怒りがふつふつとわきあがってしまう自分が情けない。その後輩は、いつも輪の中心にいて(妹キャラみたいな)練習も生活もいつも余裕そうで(わたしが気付けていないだけできっと彼女にも悩みや苦労があることはわかるんだけど)そんな姿を見ていると「私の何を解ってそんな言葉を言ったの?」って言いたくなる。ずっと前に言われた言葉なのに忘れられない。流せない自分が幼くて情けない。その後輩がいつも何でも余裕そうにみえることも、いつも輪の中心で楽しくすごしていることも、わたしがいつもいっぱいいっぱいで、人の

輪に上手く入れなくていつも陰で泣いていることもきっと理由があることはわかっているし、そんな言葉に囚われていたって何にもならないことは解っているのだけど、どうしても、今の自分では許せない。忘れられない。その後輩となにかあるたびに頭に蘇る。でもきっとわたしだって誰か(部活の同期とか、大学の友達とか、元彼とか)を気付かないうちに傷つけて、他人の中に許せないものを作り出してしまっているだろう。全てを守り抜いたり、傷つけないようにすることって無理なんだろうな。

 

今朝、別な後輩と朝ごはんを食べていてふとした会話の中で「ちいさい頃に経験したことって絶対無駄にはならないってこんな時に先輩なら言いそうですよね」って言われた。すごく恥ずかしかった。確かにそう思ったし、でもなんか自分の考えていることを後輩に読まれてるってめちゃくちゃかっこ悪いなって。しかも熱血みたいな考え。そんな風に見られているんだなって気づかされた。わたしはそんなに熱くないよ、経験したことって絶対無駄にならないって考えるのは、結果にならなかった自分を慰めるための言い訳だよ、わたしは要領が悪いから遠回りしてばかりいるし、そうやって自分がやって結果に出来なかったことも、せめて自分だけでも肯定しなきゃ生きて生けないから、全然かっこよくない。ダサいわたしの象徴。何者にもなれない、わたし。