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trash

迷子

エモい夜でした。

 

「こんなに君のことを好きになってくれるひとは

後にも先にもいないだろう。君は残念だったね。」

 

本当のことをを伝えたら今度こそ分かり合えるんじゃないか、

今度こそ上手くいくんじゃなかって淡い期待を抱いていた。

バカだった。いや、バカなんかじゃないと信じたい。

叶っても叶わなくても、泣いても笑っても、「すき」という気持ちに決して無駄だなんてことをはないとわたしが証明したい。

 

「びっくりするぐらいぜんぶすきだった。」

 

語尾で笑って誤魔化した。でもこの気持ちに嘘はない。

目を見て話したらきっと、彼の瞳の色の深さに吸い取られる。

わたしの今をすべて持っていかれそう。

 

本当に伝えたかったことは、やっぱり怖くて言えなかった。

もう連絡してこないでほしい。

あなたの連絡先を消すから、あなたも、わたしの連絡先を消してほしい。

お願いだから過去にさせてほしい。もうこんなエモい夜を繰り返したくない。

 

 

ずっとわたしは「えらばれる」ほうにしかいれなかった。

だから今度は「えらぶ」ほうへ行きたいの。

でも、えらぶひととえらばれるひとがいる以上、

すきってきもちが無駄にならない日はないのかもしれないなあと思った。

 

言えない

っていうRADWINPSの曲を初めて聞いた。

シザースタンドと似たような雰囲気で好きだなと思った。

 

日曜日に横浜美術館篠山紀信さんの写真を見に行って、寮に戻ると、喉の右側に違和感を覚えた。わたしの風邪の引き始めはいつも喉の痛みから始まるので「横浜で風邪でも貰ってきてしまったか~」と軽く考えていた。私の読みは甘かった。2日後声が全くでなくなり、体中が痛んだ。「これはもしかして?」と思い、病院へ。インフルエンザA型に感染してました。予防接種してたのになぁ。すごく悔しい。火曜日に発症したので日曜日まで隔離です。お風呂もトイレもついている1人部屋で過ごせることはめちゃくちゃ幸せなんですけど、身の回りのことをすべて誰かに頼まなければできないってことが本当に申し訳ない・・・。熱は昨日の時点で下がってもうめちゃくちゃ元気なのに・・・。それなのにそれなに、他人のお世話にならなければいけないなんて・・・。

 

一番悲しいことは、本当に本当に楽しみにしていた「CARIN25」を見に行けないこと。相澤義和さんが撮る写真を生で見たかった・・・。わたし、相澤さんの写真を初めて見たとき、いつもだったら「私もこんな風に写真を撮りたい」って思うのに「この人に撮られてみたい・・・。わたしが知らないわたしを写してほしい。」って思った。そんなことを写真を見て感じたのは初めてだった。だからこそ生で見に行きたかった。見に行けないことが本当に悔しい。こんなに元気なのに、外に出られないことが何より悔しい。

 

わたしに恋人がいたときに、わたしと恋人との話をきいた友達の一人がわたしに「こじらせてんな~。笑」と言ったことがあった。今その友達には恋人がいる。この間お風呂のタイミングがその友達と重なった時があった。さりげなく「最近彼氏とどうなん?」と聞いてみた。わたしの話をこじらせてんな~なんて言えないぐらい、友達も今の私からみると相当こじらせていた。そのことは言わなかったけれど、ひとを好きになると、誰もが盲目になり、こじらせることがよくわかった。だから、わたしがこじらせていたことも、友達が今、こじらせていることも、ひとを好きになった反応としては正しい反応なのだと思う。

 

変な話をする。本当に私はおかしいと思う。いまでも色々なことを考えるときに思い浮かべる相手は元彼なのだ。元彼には自分からさよならと言ったのに。元彼でないと興奮しないのだ。(興奮しないって文字にすると相当ヤバいやつだな。でもぜったい皆妄想とかするでしょ!)でもだから未練があるのかって自問自答するとそうじゃないんだよな。この間、むかし書いていたブログを見つけて、そこに記録されてた元彼の姿を思い出してやっぱり違うんだよなっておもった。自分でもどうしたいのかわからない。でも多分、わたしは、付き合い始めた頃の彼が好きだった。でもその頃の彼は着飾った彼で、本当の彼は別れ際に見た彼だったのかもしれないなと思ったりもする。わからない。4年一緒にいたけれど何一つわからなかった。掴めなかった。いや、わたしが知ろうとしなかったのかもしれない。そしてわたしは、いつもたくさんの人に囲まれて楽しそうにしていた彼が羨ましかったのだとおもう。そして、わたしのことだけを見てほしいという独占欲にとうとう負けて、疲れてしまってさよならと言ったのだとおもう。(

まさにこじらしている。)でも、自分の選択に本当に後悔はしてない。Greeeenの人って曲のようなきもち。

 

でもそろそろまた人を好きになりたいなーっておもうんですよね、

でもまた人を好きになる瞬間があるのかなって不安が強い。

まぁ、「恋はするものではなくて、落ちるもの」なんて名言があるように、意識しているうちはきっと恋出来なくて、気づいたらすきになってたって感じが恋の始まりなんだろうな。

youtu.be

youtu.be

8cmのピンヒール

チャットモンチーの8cmのピンビールずっと聴いてる。

チャットの曲は女の子が兼ね備えている可愛さと毒が

とてもよく表されているなと思う。切な可愛い。

 

実家に帰った時に昔の創作ノートを読み漁っていたら

今の自分に刺さる言葉がたくさんあって、中2の自分すごーってなった。

もしかしたら今の私より大人だったかも。わたしは退化しているのかもしれない。

 

荒木経惟アラーキー)の「食事」っていう写真集が欲しくて欲しくてたまらない。

3~4万する。荒木陽子さんの「愛情生活」も欲しい。あぁどうしよう。いつか多分私買ってしまうと思う。いや、いつかじゃなくて、近々の誤り。今年のわたし、自分でもびっくりするぐらいポジティブ。いや、能天気?でも毎日楽しいよとても。

 

そーいや太って就活用のスーツがめちゃくちゃきついんだが。

 

1月26日のおきもち

きらきらひかれ

今日は1年とちょっとぶりに地元帰る。
明日には帰るからとんぼ返りだけど、お家に帰れるだけで、寮を出れるだけで、すごく嬉しい!しかも今夜はすき焼き!ビール!

数時間後のことを考えたら嬉しすぎて、テスト中にやにやしちゃった!

お金ないから鈍行で帰るけど、
鈍行もなかなかいいよね。
シートの色とか、
電車の中の黄色っぽい光とか、
ちょっとレトロな感じが
窓から見える青い静かな灰色の景色とマッチして、ドキドキする。
変わらない景色があることってすごくしあわせだなと思う。
今住んでいるところも寒いけど、地元の寒さとはちょっと違う。わたしの地元の寒さは、温かさのある寒さ。離れて気づくことがたくさん。雪が夕暮れの光を吸い込んで青白く光る。葉を落とした木が黒子のようだ。でもたくさんいるから主役級。

都会もいいけど、
やっぱりわたしは山や木が手を伸ばせば触れることができるところが好き。アスファルトを歩くより、土の上や落ち葉の上を歩きたい。


わたしの軸は中学2年生に形成されたみたいだ。好きな音楽も、好きなことも、なにひとつ変わってない。それが良いことなのか、悪いことなのかはよく分からないけれど、わたしはわたしがすきだなと思う。どんなに歳を重ねても、わたしはわたしの感受性を一生大切にしたい。ときどき、きらいになることもあるけれど、それもわたしだと思うから。すきなものをすきだと言えることはとてもしあわせ。

チャットモンチーの歌みたいな人生を生きたい。どんなにつらくたって、かなしくったって、かわいいメロディにのせて毒を吐くような、可愛さと鋭さを持って生きたい。おなかにヒミツをかくしていたとしても(ヒラヒラヒラク秘密ノ扉)笑っていたい。人生はきっと楽なことばかりじゃない。去年の終わりに監督に言われたように、人生においてのいいことなんて数えるぐらいしかないのだろう。それでも、自分の心持ち次第で毎日は天国に変えられるんだと最近つくづく思うんだ。

愛情

大学の友達に一足はやい誕生日を祝ってもらった。

みんなで大学の近くのかわいいカフェでお昼ごはんを食べていたら、

デザートに名前が書かれたケーキが登場!

私の誕生日は冬休み期間中にあるので

テスト期間でみんな忙しいのに色々考えてくれて

とても、うれしかった。

そしてみんなと食べたご飯がすごく楽しくて美味しくて、

やっぱり誰かと時間を共有することってすごく素敵なことだなと思った。

 

ちゃんと味があるし、においもして、楽しくて美味しい。

ひとりでてきとうに済ます食事は味がない、

あるのは飲み込む感覚だけ。美味しさもゼロ。

菓子パンとか、出来合いのものを食べているとすごく寂しくなる。

あぁこの食事には、私への愛情がないなって。

だからきっと過食の時は全然満腹になれなくて、自分でもびっくりするぐらい食べてしまうんだと思う。

 

昨日、久しぶりに

藤代冥砂さんの「もう、家に帰ろう」を開いた。

言葉や写真すべてから藤代さんの妻・あゆみさんへの深い愛情を感じる。

写真から、藤代さんがあゆみさんを見る眼差しを感じる。

秋の夕日のような、温かくて優しい、強い光にみたいな眼差し。

 

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あの日と同じ

 

久しぶりに、気まぐれに開いてみた。

書かれていた日記を読んで、その日の出来事を昨日のことのように思い出せた。

1年前のわたしも、今のわたしも何一つ変わっていない。

ただ一つ変わったことは、彼と別れたことぐらい。

あとはなにひとつ変われていない。

過食も相変わらず。時間とお金を無意味な食事に費やしている毎日。

 

また気が向いたら、書こうかなと思います。

 

アタマにコダマしたキモチ

先週の木曜日に学校サボって彼に会いに行った。
あった後なんかすごく悲しくなって過食に走り、5限には行こうと思ってのに行けなかった。

帰るのにも時間が早かったから、いろんなお店回ってひたすら過食。
実にカネと時間の無駄。全然美味しくなかった。ただ苦しかった。
心にある穴を食べ物で埋めようと必死だった。食べても食べてもその穴は埋まらないのに。
過食中はとにかく何かに追われているように食べる。頭の中に2人の自分がいて、食べ物で頭がいっぱいになってとにかく手当たり次第食べてる自分を、もう1人自分が上からその様子を眺めている感じ。
他人事のような感覚。でもこれ以上食べたら吐くまでの胃袋レベルに達すると、今まで他人事だったはずなのに気づいたら当人になっていて、胃もたれと食べ過ぎによる苦しさと過食への後悔に苛まれる。

もうダメだなって思った。
彼は本当に今のわたしにとって毒でしかなくなってしまったと思った。
距離を置きたいと言った。ごめんね、とだけ返事が来た。
その日はそれきり返事をしなかった。

次の日の夜、急に彼の声が聞きたくなって、話したいことがたくさん浮かんで、夜に電話をかけた。
繋がらなかった。繋がらないことはなんとなくわかっていたし、例え繋がっていたとしてもわたしは上手く喋ることができなかっただろうから、繋がらなくてよかったと今は思う。きっと仕事で彼は忙しかったのだろう。急に声が聞きたくなって電話をしてしまった、ごめんなさい。おやすみ。とメッセージを残して眠った。次の日の起きてケータイを見ても、彼からのメッセージは無かった。彼の中でのわたしの価値の低さを感じた。

昨日、彼に、
わたしは今も彼くんが好きだと思う。
でも同じこと(気持ちの迷い)を繰り返してばかりでごめんなさい。
面倒だったら、振ってほしいと言った。
彼はふーん。と言った。

このときなんとなくわたしが彼に求めているものが分かった気がした。たくさん浮かんだ彼への問いは、わたし自身に対する問いであったことに気づいた。わたしはもっと彼くんのキモチが聞きたかった。言葉が欲しかった。どんなに身体が近づいても、彼からの言葉がなければわたしの心の穴は埋まらない、そう永遠に。あ、もうダメかもしれないなと思った。諦めに近い感情。

あんまり関心ないのね、おやすみなさい。おつかれさま。とメッセージを入れて眠った。
まだ彼からの返事は来ない。でももう返事がこないほうがいいのかもしれない。
いや、わたし自身が彼から返事が来ないことを心の隅で願っているのかもしれない。